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アルメニア在住経験者によるエッセイ、生活情報、写真。アルメニア語講座。

(46) 虐殺記念館

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アルメニアとアルメニア人にとって4月24日は特別な日であります。
中心街から少し離れたところにある、非常に目立つ建物、それが「ジェノサイド・ミュージアム(虐殺記念館)」です。
僕も3度ほど足を運びました。ここに来るとなにやら寂しい気持ちになります。

普段、バカな事を言ったりしたりしているアルメニア人でさえここに来ると神妙な面持ちになって犠牲者を追悼しています。

非常に微妙な所なのですが、今でもアルメニア人のトルコ人に対する憎悪は凄まじいものがあるし、アルメニアでは天然記念物並に珍しい知的で物腰の柔らかいアルメニア人男性でさえ、話がトルコの事になると凄まじくヒートアップしてしまいます。

ですが、割と女性の中には冷静な人も居ます。
僕の友達の女の子はこんな話をしてくれました。

「アルメニア人は、特に男性は認めたがらないケド今現在のアルメニア人の血の中には何パーセントかはトルコ人の血が入っている。コレは事実です。
だって、元々のアルメニア人は碧眼で金髪、肌の色も透き通るように白かったのに、今では肌の色も様々だし、目の色も様々だし、髪だって黒い人が殆どでしょう?
まぁ、虐殺の事実が過去にあったかも知れないケド、国境を接している以上は本当は友好的に国同士で接しなくてはならないよね。
実際、最近ではトルコに出稼ぎに行ったり、服とか革製品とかを買い付けに行ったりするアルメニア人が多いんだから。」

そんなワケで、民族的にトルコ人とほぼ同じといわれている「アゼルバイジャン人」に対しても、必要以上に神経質になるアルメニア人は本当に悲壮感を漂わせています。

残念な事に、完璧に経済破綻しているにも関わらず莫大なお金を国防費に回さないといけないアルメニアは、ある意味で本当に「泥沼」にはまっているのかもしれないです。
確かに、海外に離散したアルメニア人が寄付したりはしているらしいのですが、離散した人達の皆が皆「お金持ち」なワケではないです。
NYのユダヤ人みたいに凄まじい「億万長者」になった人も居る事は居るらしいですが、殆どが普通にその国に溶け込んで普通に生活している人達ばかりです。
運良くアメリカ西海岸に移民できた人達もコミュニティーに保護されながら、どちらかというと「低所得者」的な生活をしている人が多いと聞きました。

だからかも知れません。
とにかく独立してからというもの、凄まじいほどの「愛国主義教育」を学校でなされるようになったらしいです。
勿論、無知を排し、崇高な学問を追い求めるソヴィエト系大学でさえも「民族意識」を高揚させるような文学が好まれたり、テレビでさえもそのような傾向は強いと感じます。

無い袖は振れないから愛国心で賄おう!とテル・ペトロシャン元大統領は考えたのでしょうか?(彼はシリア生まれらしい)
いかにも、為政者らしく「愛国心」を煽る事には成功したようですが、、、

何時でも戦争で死んでいくのは明日を担う若者達です。

時々、アルメニアで生活していると独特の「刹那感」や「憂鬱感」に苛まれる事があるのですが、周り360度を実質、敵に囲まれた内陸国では仕方がないのかもしれないです。

4月24日になると、およそ100年前に起きたジェノサイドの犠牲者の為にアルメニア人はココ「ツェツェルナカベルト」に来て花を置いていくそうです。

炎は何時も、何時も、雨の日も風の日も雪の日も燃えつづけます。
それは、犠牲者の生命の炎が何時までも尽きないようにと、、、


遠くからでもよく分かる尖ったオブジェのあるツェツェルナカベルト(虐殺記念館)


4月24日はココに沢山の花が添えられ、炎は来る日も来る日も燃え続ける。


犠牲者の悲劇を再現した石碑。これは「ハチュカル」という。


「ハチュ」=十字架、「カル」=石。記念館の入り口


非常に美しい石の彫刻は、犠牲者を追悼するものです。


記念館からはイェレヴァン全体を見渡せる。
夜、ここから見たイェレヴァンはとても美しい!


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