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(28) ソヴィエト人の教え

何処かで「アルメニア人(旧ソ連人)はとっても見栄っ張り」と書いた事がある。
生活を犠牲にしてまで良い服やら靴やらを買うという彼等の行動心理が最初の頃は理解出来なかった。「1ヶ月の給料が60ドルなのに、150ドルのコートを買いました」なんて話はザラに聞く。まぁ、CIS圏の冬はとても厳しいから革製のコートは確かに「必需品」かもしれないけれども。

関係無いが、僕はCISに住み始めるまで革のコートなんて着た事が無かった。野暮ったいし、東京はどんなに寒くても冬に気温がマイナスになる事が無かったからだ。アルメニアでは2着の革コートを買った。どちらも、秋口から大変に重宝した。因みに、アルメニア人男性は足首の辺りまである革製ロングコートが好きらしい。長いコートを着ていると、金持ちっぽく見えるからなのだそうだ。

僕はこのような行動は、極端にモノが不足していた「ソヴィエト時代の反動」だと思い込んでいた。商売の上手なコーカサス人はソヴィエト時代、金を儲けても買うモノが丸っきり無いからいつも「目新しいモノ!」を探していたらしい。

「ソヴィエト時代に、モスクワでよく外国人の旅行者から腕時計を売ってもらったんだ。ソレをアルメニアに帰った時に売るの。良い値段で売れたなぁ。皆欲しがったからね。日本人からセイコーの腕時計を売ってもらった事もあったよ。」と、言っていたアルメニア人も居た。特に、「カーステレオ」は誰でも欲しがったので言い値で売っても売れたのだそうだ。

ソヴィエト連邦が崩壊し、先進資本主義国のモノが大量に入って来るようになってソ連人はイッキにはじけてしまったらしい。火を噴くソ連製テレビや、ただ単にグルグル回っているだけで脱水してくれない洗濯機や待てども待てども買えないし、やっとの事で買ってもスグに故障しまくるソ連車よりも外国製品の方が全然良い!というのは誰にとっても当然の心理なのだろう。

しかし、ソ連時代と違ってモノは溢れていても失業率が高く賃金も安いので買いたくても買う金が無くて買えない人の方が多そう、と考えるのが普通だ。


しかし、買うのだ。

カリネおばさんも、よせば良いのに中心街の自分のアパートを売り払って新しいアパートを買い、余ったお金で掃除機やら新しい電話機やらといった電化製品を大量に買い揃えていた。ビックリした。

大きなお世話だが、「何も日本製で全て買い揃える必要は無かったのでは?日本製は高いし。中国・台湾製やらアラブ製の方が幾らか安いからソッチにすれば安く上がったのでは?そうすれば、生活費にも余裕が出ると思うし、万が一インフレになった時も現金(ドル)があれば安心でしょう?」と言ってみた所、

「何言ってるのよ。日本製の電化製品が世界で一番良いに決まってるでしょう?私達みたいな貧乏人こそ最初に『良いモノ』を買わなきゃいけないのよ!万が一、お金に困っても日本製の電化製品だったら新聞に広告をだして売れるしね」と、カリネおばさんに言われた。

コレを聞いた時は、「あぁ、ソ連人って本当に宵越しのお金を持てない人達なんだなぁ。」としみじみ思った。コーカサスに流れ込む先進国の便利で美しい商品の数々を呪った。そして、呆れた。ソ連邦各国の人は、程度の差こそあれインフレによって信じていた自国通貨が紙切れ同然になってしまった経験がある。なので、買える内にお金をモノに変えておくという心理は理解出来なくもない。

こんな風に後先を考えてなさそうに「それいけーッ!」で、お金を使ってしまう人は本当に多かった。僕の印象では、アルメニアでは失業者ほど携帯電話の所有率が高いように感じたりもしたし。

しかし、後になってカリネおばさんが言った「貧乏人こそ良いものを買う」は「真理」だと知った。

(生活費との兼ね合い、未来に対する超楽観的な思考回路を持つアルメニア人の「能天気振り」に関してはココでは問題にしないで無視させて貰います。)

日本人なら「生活費」をまず優先する。不況下で不安な未来を考慮して、自分の心の中で妥協点を探り、欲しい物のグレードを落とす事で自分に言い訳をして無理矢理納得する。実はコレが良くないのだと言う。

カリネおばさんに限らず、ソ連人はやみくもに「高級志向」があるというワケではなく、何年使うか(耐久性)?商品価値(人に自慢出来るか)はどれくらいあるか?ソレが絶対にどうしても欲しくて、散々吟味して1週間経過してもまだ欲しいモノか?モデルチェンジしても色褪せないデザインか?使ってみた感じはどうか?を考え結論を出す。で、お眼鏡に適ったモノは安かろうが高かろうが買うのだそうだ。

勿論、「良い物は値段が高い」というのは万国共通だ。

結局、高いモノを買うと絶対に大切に扱うし、長持ちするように工夫して修理しながらでも使うようになるから、後にかかるメインテナンス料やら何やらが惜しくなくなるのだそうだ。安いものはやはり「愛着」が湧かないものらしい。ソレは自分にも心当たりがある。ソ連人も一緒なのだ。

僕が子供の頃、父親が生成りの革製の凄くキレイなカバンを買ってきた事があった。値段も高かったけれども、クリーム色した新品のカバンはとにかく素敵だった。そして、そのカバンは20年近く経過した今でも現役で毎日、親父のお供をしている。クリーム色からキレイなあめ色になり、風合いが良くなって新品の頃よりもますます魅力的になった。親父と共にキレイに歳を重ねて、風格のある味のあるカバンになった理由はソレが安物ではなかったからだと思う。安物だと壊れたり、ボロボロになってしまったりする。

高いモノは、それなりにプレステージがあり、耐久性もあり、愛着が湧くような「仕掛け」を持っているのだと思う。その「仕掛け」こそが、ワン&オンリーのブランドが持つ最大の魅力なのではないだろうか?

日本の文化人と呼ばれる人達は、不思議なくらいに日本の女性の「ブランド志向」を叩きたがる。僕は、お金があって買うのであれば良いと思うし、本当に「大きなお世話」だとも思う。憧れのバッグや服は、身に付けて長い事使用する内にその「良さ」や「価値」が分かってくるものなのではないだろうか?残念ながら、僕は興味が無いので買った事も無ければ欲しいと思った事も無いけれど。

しかし、ブランド品を買う事だけが目的になってしまい、買ったは良いけれど押し入れにしまって一度も使った事が無い、という女性をテレビで見た事があった。こういう人はアホだと思う。「買い物」だけが目的になってしまっている女性と言うのは、ストレスの見返りに高級品を買うらしい。コレは世界中の女性に共通している現象だと思う。アルメニア女性もこうした行動をとる人が居るには居た。

所謂、プレステージのあるブランドというのは「階級社会」であるヨーロッパの象徴らしい。そういったブランド品を持てる層というのは限られていて、ソレを持つ資格のある者というのは「洗練されていて、教養があり、そのブランドが持つ哲学を理解し、その価値を見抜いた者だけ」等と、あるイヤミなどっかの大学教授らしきオバハンが言っていた。

ほほぅ、一昔前の「ヤクザのベンツ」みたいですね。アレも、昔のヤクザの社会では車のグレードでそのヤクザがどれくらい偉い(?)か判別が出来るようにしていたらしい。日本の裏社会に生きる者達の階級社会の象徴が「ベンツ」だったというワケだ。まぁ、あの当時とは違って今では変動相場に移行し、円高の恩恵を受けてサラリーマンでもベンツを買える時代になったけれども。

人に触発されて買っても良いと思う。「本物」や「良いもの」を知るのは良い事だ。欲しくて欲しくてやっと買った!なんてモノであれば、とにかく大切に使うだろうし。

話は逸れたが、ソ連人が買い物(特に高価なモノ)に関して妥協をしないのはある意味、非常に筋が通っている。「貧乏人こそ最初に良いものを買う!」という考えは、ソ連人の生活から来た知恵なのだろう。

ソ連人(特に女性)の買い物に付き合った事がある人は、彼(女)等が徹頭徹尾、自分が気に入ったものを見付けるまで幾らでもマーケットの中を歩き回れる事を知っていると思う。僕も、まだ何も知らない頃にアルメニア女性の買い物に何度か付き合わされて、その度に辟易していた。穏やかそうな女性も、こういう時は別の顔を覗かせる。アグレッシブに「値段交渉」をしている。

「お金を払うんだから、少しでも良いものを買うし妥協は絶対にしないッ!」と、キッパリ言い切る。買い物に付き合うのはイヤだけれども、お金を考えながら使い10ドラムでも無駄にさせない彼等、彼女等の金銭感覚は大いに自分も見習おうと思った。

本当に「良いもの」というのは時代に流されないし、流行とは違う所でスポットを浴び続けるのだ。しかし、未熟者の僕は中国製の安物に心を動かされそうになってしまうけれどもね。

ロシアにこんな格言がある。

「Я не настолько богат, чтоб покупать дешевые вещи.」

直訳すれば、「私はそれほど金持ちではないので、安物は買わない」。僕は最初にコレを聞いた時は、なかなか自分の中で咀嚼できなかった。しかし、生活の様々なケースに当てはめている内に、今では何となくそう思えるようになった。

実は、アルメニア語にもウクライナ語にも上記の格言はあるらしい。ソヴィエト各国の「諺」や「格言」等が載っている本を読むのはとても楽しい。ロシアというと、やはり「アネクドート」が有名だけれども、日本人の為にもなる大変に素晴らしい「格言」が沢山ある。生活に密着したモノが多いと感じた。ソコには、厳しいソヴィエト社会を楽しく行き抜く為の賢人の知恵が隠されているのだ。


そして、格言や諺からだけではなく、ソヴィエト人の行動から反面教師的に学ぶ事も沢山あった。「ダメ男」になる三大要素と言えば、①「女」、②「酒」、③「ギャンブル」だ。ソヴィエト各国では、それぞれ特色がある。ロシア、ウクライナは「酒」でダメになった人が沢山居た。アルメニアにも酒でダメになった人が居るには居たけれども、僕の印象では「ギャンブル」で人生を破滅させる人が多いように感じた。実際、空港周辺にはカジノが多い。コチャランがイェレヴァンの中心街にカジノを経営する事を禁じた為に、アッチに移ったらしい。とは言っても、中心街には今でも幾らかカジノが残っているけれどもね。

というワケで、僕は浮気はしない。酒もたしなむ程度に飲む(←本当か?)。ギャンブルは元々嫌い。ソヴィエトに住もうが、何処に住もうが学ぶ事は沢山あるのだ。


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