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アルメニア在住経験者によるエッセイ、生活情報、写真。アルメニア語講座。

(34) 関西人とカフカス人

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あくまでも個人的な意見ですが、関西人とカフカス人は似ていると思う。
アルメニアに住んでいる時に、「大阪みたいだなぁ」と思った事は何度もあったし、街並み云々ではなくて、人々の行動や性格がとても似ていると思った。もしかして、アルメニア人と大阪人のDNAは似ているのではないだろうか?

まず、車の運転は関西人とカフカス人は非常に似ている。

僕は、日本に住んでいた頃に西日本を車で1ヶ月近くかけて旅した事があったのだが、東名から関西エリアに入った瞬間から車の運転が恐ろしいほどに乱暴になりとにかく肝を冷やした。ウィンカーを出さずに車線変更をしたり、法廷速度を余裕でブッちぎって運転している所なんか、まさしく「日本のカフカス人」だ。

関西人にとって、信号の赤い色は「突っ込め!」を意味すると聞いたが、それは真実だった。黄色に変わった所で僕なら減速するのだが、大阪の人達はスピードを上げて突っ込んで行く。何度も後ろからどつかれたり、けたたましくクラクションを鳴らされた。あのクラクションの鳴らし方やタイミングなんかも、アルメニア人のソレと全く同じだ。

アルメニアでは、信号なんて有っても無くても同じようなものだった、というのは何度も書いているのでココでは省略。僕はアルメニアで車の運転するのは怖かったが、案外と関西人なら余裕で運転出来るのかもしれない。

とにかく関西エリア、とりわけ大阪を車で走るのは今でも怖い。正味3日くらい大阪の街を車で流しただろうか?とにかく、神経が物凄く磨り減った。

と、車の運転だけを引き合いに出して「カフカス人=関西人説」を打ち出しているワケではない。

関西のオバチャンのファッションと、カフカスのオバチャンのファッションもコレまたよく似ている。似ているというよりも、共通するものが多い。大阪のオバチャンのファッションセンスの斬新さには、本当に恐れ入る。アルメニアのオバチャンも豹柄が好きだったり、クレオパトラが身に付けるようなゴッツイ宝石類を好んだりする。総合的に出来上げってくるファッションがアルメニアのオバチャンと大阪のオバチャンは、醸し出す雰囲気がとても似ていると感じる。


コレじゃ、なんだか関西人の悪口を書いているみたいだが、決してそうではない。


去年、知り合いの方のお誘いで大阪に行った時に、関西に住むロシア人達と話が出来る機会を持てた。ロシア人に限らず、ウクライナ人やベラルーシ人も居たのだが、なかなか楽しかった。その中に、東京と横浜に住んでいたが今は大阪に住んでいるロシア人が二人居て、それぞれ東京と大阪の違いについて話してくれた。そのロシア人曰く、

「東京や横浜に比べたら、大阪なんて小さな街で何も無い。食事も東京の方が美味しかった。だけど、東京の人よりも大阪の人の方が暖かくて親切だと住んでいて感じる。義理堅くて人情深い。東京の人は冷たいね。モスクワのロシア人みたい。」とモスクワ出身のロシア人が言っていた。

外国人は、東京の人よりも関西の人の方が好きなのではないだろうか?関西人はノリが良いし、笑いをとる事に命をかけている。何か聞けば、東京の人と違って必ず答えてくれる。無機質で冷たい響きの東京で話される標準語よりも、外国人には関西弁の方が響きが良いのかもしれない。概して人懐っこくて、相手の懐に入り込むのが上手い関西人は、どこか憎めない人達だ。全てが機械仕掛けのような東京よりも、外国人には古い日本的文化が今でも色濃く残っている関西地方の方が楽しいのかもしれない。実際、関西のCIS人達は楽しそうに生活しているようだった。

人懐っこくて、世話焼き。東京の人間よりも遥かに社交的な関西人が、なんとなくカフカス人っぽいと感じるのは、そんな所からだろうか。僕は、関西が好き。レストランで勘定を済ませると「おおきに」と言ってくれる所が好き。民宿のおばちゃん、定食屋のおばちゃんもあけっぴろげで何でも丁寧に教えてくれる所も好き。

「関西人はケチだ」というステレオイメージは、僕には無い。むしろ、お金を使うべき所では東京の人よりも気持ち良くお金を手放すイメージが僕にはある。アルメニア人も、傍から見ると無計画にお金を使っているように見えるが、使うべき所は使うし、抑えるべき所は極端に抑える。ふむふむ、やっぱり両者は似てますね。

もし住む機会が一生の内に有るのなら、神戸か京都に住んでみたいと思っている。京都は盆地なので夏は東京よりも暑さがしんどいが、雪の降る頃の京都は何処も美しくて素晴らしい。

昔から沢山の外国人を受け入れてきて、そのせいか異国情緒を感じさせる建築が多くて、住宅街から山が見える、落ち着いた雰囲気の神戸の街も好き。

東京はあれほど人口密度が濃いにも関わらず、人間関係は極端に希薄だ。しかし、関西の古い街並みの残る場所では今でもカフカス人みたいに近所付き合いがあるようだし、飲み屋もカフカスのソレっぽい雰囲気だ。

去年関西に行った時、不思議な事に「外国に来たような感覚」に陥った。京都に行った時、喋っている事の殆んどは理解出来るのだが、明らかに自分が喋る日本語と違う響きの日本語を聞いたのが妙に新鮮だったからだろうか?

もしかして、ロシア人がウクライナやらベラルーシに行った時の感覚に似ているものなのかもしれないなぁ、とこの時にボンヤリと思ったりした。言葉、単語の殆どは理解出来るのだけれども決して全部ではない。ウクライナでは、当たり前だがウクライナ語とウクライナ訛りのロシア語が喋られている。自分は全く京都弁が喋れないのに、人々が喋る京都弁が大体理解出来た(100%ではない)。

京都や兵庫、大阪で過ごした数日間は、日本と日本語の奥深さや広がりを認識した。


ところで、話は変わるがロシア語について不思議に思う事がある。

それは、どうしてモスクワの人と遥かに離れた場所にあるヴラジオストクやサハリンの人達が全く同じ「ロシア語」で通じ合えるのか?という事だ。日本人の僕には本当に不思議だ。アルメニアはあんなに小さい国なのに、方言差はかなり激しい。その方言の差というのが、ロシア語には全く無いとは言わないけれども、少ないと感じるのだ。

例えば、僕の祖母は岩手の生まれで子供の頃は夜行バスに乗って、よく岩手まで連れて行ってもらった。祖母の親戚が喋っている事が幼かった自分にはサッパリ分らず、祖母にいつも通訳(!)してもらっていた。大袈裟じゃなくて、本当に東北弁は「同じ日本語なのか?」と首を捻りたくなるほど、自分には違う国の言葉のようだった。(多分、今でもそうだが)

ロシア連邦内に限らず、CIS中で「ロシア語」が通じるのはソヴィエト時代の中央集権のお陰なのかもしれない。それが良い事なのか、悪い事なのかを論じるつもりはないけれども。

勿論、CISの国々ではそれぞれいくらかの「訛り」はあるらしい。アルメニア人はアルメニア訛りのロシア語を喋るし、グルジア人はグルジア訛りのロシア語を喋る。僕にはその微妙な訛りが分らないのだが、ロシア人は少し喋れば何処の出身か分ってしまうらしい。

関西の人は、案外コーカサスの人達と気性が合っているような気がする。関西の人がアルメニアとかグルジアに行ってみると、結構楽しめるかもしれない。今ふと思ったのだが、関西弁のリズムとカフカス諸語のリズムって似ているかも。関西在住の方は、是非ともコーカサスに行ってみよう!?


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