(30) アルメニア人の誇り
僕は「日本の首都・東京で生まれた日本国籍を有する日本人」です。
日本で普通に生活している時は、全くそんな事を意識した事は有りませんでした。もう少し詳しく書くのならば、日本のパスポートを保有している日本人である事の価値について全く考えた事も無ければ、知らなかった、という事です。
CISに来るまでは。
菊の紋章が入った「日本国パスポート」を持っているという有難味を感じた事はCIS滞在中に何度かありました。幾つかお話しましょう。
在アルメニアの某国領事館(バレバレですが)に行った時の事。
相変わらずのカオス状態で人がゴチャゴチャと待っている(?)様子です。僕もヴィザを貰わなければならないので、列になっていない列に並んで(?)いました。で、列の先頭に中国人らしき人達がいるのが見えました。何で中国人と分かったかというと、強い中国語訛りの英語でしきりにアルメニア人に何かを聞いていたからです。アルメニア人も聞き取るのに苦労している様子でした。
「中国人、韓国人、日本人がアルメニアには居るんだ!イェレヴァンはなんと国際的な都市なんだ!」と、聞こえるようにからかってくるアルメニア人が居ましたが、まぁ、いつもの事なので軽ーく流していました。おめでたい人達ですねー。
で、中国人が入って行ってしばらくしたら、大使館の職員が真っ赤な顔をしてその中国人をつまみ出しているじゃありませんかッ!警備の人に向かって「コイツ等を二度と来させるなッ!」と怒鳴りつけています。白人特有の「怒ると赤くなる」顔で、スンゴイ形相です。
何があったのでしょうか?何か言ったのでしょうか?それとも、何かやらかしたのでしょうか?
その時は、「ウワ-、俺も同じモンゴロイドだからあんな事言われるのかなぁ」と内心、戦々恐々としていました。その辺に居たアルメニア人もかなり引いていましたね。
こういう時だけ妙に気を利かすアルメニア人。「次はお前が行け」と順番をスッ飛ばし僕が領事館の中に入って行く事になってしまいました。ヒャー、次は俺かいッ!
職員が自分を見るなり、「またかッ!」という表情になってしまい、怖さ倍増!食ってかかろうとしたその時に、とにかくパスポートを机に置きました。
すると、あら不思議。職員の態度が一変!
「何だ、君は日本人なのか」と言ったかと思うと、急に物腰が軟らかくなりました。
スグにヴィザを発給してくれる事と相成り、身構えていた分だけ思いっきり拍子抜けしましたね。
後日、パスポートを取りに行き、列になっていない列に並んでいる僕を職員が見るなり、
「もう、出来てるよ。スグに入って」と言ったら、本当にヴィザをくれました。「日本人は良い民族だ。我が国も日本を見習わなければならない」というお世辞も頂いたりして、、、
こういう事は、CISで何度かありました。勿論、アルメニアでも。その度に、菊の紋章が入った「日本国パスポート」に感謝するのでありました。
CIS人は、モンゴロイドを見るととりあえず「中国人ッ!」だと思うらしく、その事によってイヤな思いをした事は数え切れないほどあったのですが、日本人だと分かると、珍しさも相まって、資源なんて何も無い極東の辺鄙な島国が
戦後、コツコツと努力を積み重ねて経済大国になった事をしきりに聞きたがる人がいましたね。
スターリンは「ローマ法王は偉い人物らしいが、彼はどれほどの軍隊を持っているのだ?」と部下に聞いた、という冗談がありましたが、ソ連時代というのは「軍隊の規模」こそがその国の力を示すバロメーターだったそうですから、日本なんてソ連にしてみれば対等な相手ではなかったワケです。唯一、対等な相手というのはアメリカだけだったのです。
しかし、時代が変わった今では「経済力」こそが国の力を示すバロメーターだとソ連人も理解し始めたのでしょう。ソ連人も「日本」には一目置くようになったようです。
先代達の努力によって築かれた「小さな島国」に産んでくれた親に感謝するのでありました。外国に住めば、祖国の良い所も悪い所も見えてくるわけですが、どんなに住環境が貧しかろうが、寿司を愛し、牛丼を懐かしみ、ラーメンとカレーうどんを食べたがる自分は「日本人」なんだなぁ、と思わずにはいられないのです。祖国と腹は最も太い繋がりを持つワケですからね。
しかし、だからと言ってそれが「ナショナリスト」に直結するのか?と言うとチョット違います。
僕は、日の丸の旗を振り回して愛国心を鼓舞する右翼タイプの人間じゃあないです。自分の価値観で言えば、そのような行為は「スマートじゃない」となるワケです。「愛国心」とは、心の中で密かに抱く思いであり、他人に強要するものではないのだから。
だから、アルメニアの人に日本の事を聞かれても絶対に「御国自慢」と受け取れるような事は言いませんでした。もしかしたら、不用意な発言でアルメニア人を傷付けるかもしれないし、シャバの世界の姿を有りの侭に喋ったらショックを受けるかもしれない、という配慮からです。
こう考えるようになったのも、やはりアルメニアに住んでいた影響があるのでしょう。
アルメニアでは事ある毎に「アルメニア人はアルメニア人である事を誇りに思わなくてはならない」というような事を文学でも、テレビでも、ドラマでも、ラジオでも、しきりに垂れ流しています。そんな思想教育をしているからか、一般のアルメニア人も平気でそういう事を口走るワケです。
確かに、ジェノサイドの歴史はアルメニア人にとっては不幸な歴史でしょう。自国の領土が極端に磨り減るし、スターリンの思惑によってナヒチェヴァンやらカラバフも手元から離れるしで、歴史は散々アルメニアとアルメニア人を裏切り続けました。
ディアスポラの中には出自を隠し、名前を変えて生活しなければ仕事も見付けられないし、様々な不利益を被る事も有ったようです。(例えば、ソヴィエト時代のアゼルバイジャン。バクー生まれのアルメニア人は、アルメニア人の姓の特徴であるyan(s)の語尾ではない人が多い。男:ov、女:ova)
ディアスポラによって世界中に散らばったアルメニア人の心の拠り所であり、アイデンティティーを纏め上げるもの、それが「アルメニア人である事の誇り」なのかもしれません。
しかし、僕はどうもこの場合に使われる「誇り」に胡散臭さと危険な香りを感じてしまいます。
僕が持っている辞書で「誇り」を引いてみますと、「得意に思っているもの。名誉と考えているもの。」と書いてあります。
アルメニア人はアルメニア人である事を得意に思い、名誉と考えているのでしょうか?そういう人が圧倒的に多いのでしょうが、僕の知っている数少ない良心的アルメニア人はそのようには思っていないようです。
「『誇り』や『名誉』は、努力して勝ち取るもの。生まれた時からアルメニア人である事は宿命ではあるが、それ自体が『誇り』だとする平均的アルメニア人の考えには賛同出来ない」と、僕が発言した時に、非難する人も居ましたが、大概の人は「その通り」と思ってくれたようです。
逆に言えば、祖国や人種というものを突き放し、且つ客観的に見られて、考えられる人こそがアルメニアの現状を憂慮する本当の「愛国者」なのではないでしょうか。
この前、アメリカに渡ったアルメニア人の友達が電話で言ってましたねぇ。
「アルメニアじゃクリスマス、新年、誕生日は人をわんさか呼んで盛大に祝う。歌って、踊って、いっぱい笑って、いっぱい食べて。それこそ、家計が破綻しても気合を入れて楽しむんだけどねー。
ところが、アメリカ人ときたらシレーッとしていてツマンナイの。彼らは羽目を外す事を格好悪いと思っているみたい。全く、肩が凝るね。
アルメニアに住んでいる時は、とにかく早く国から出て行きたいといつも思っていたんだけどねぇ。アメリカに来てみたら生活は便利だけど、アルメニアの良い所も沢山思い出すんだよ、この頃は。」
アルメニア共和国でアルメニア人に囲まれて、アルメニアの伝統と文化にドップリ浸かって、アルメニア語を喋る生活をしていると、「当たり前である事」の有難味になかなか気が付けません。それは、祖国を離れて外国で暮らす日本人とて同じ事。
しかし、祖国を離れアルメニアの文化や伝統を懐かしんで、相対的に祖国について考えられる彼女のような人こそが、実は「誇り高きアルメニア人」なのかもしれません。
誰にとっても、「祖国とは、遠きにありて思ふもの」なのです。