(15) 4月24日
所謂、「ジェノサイド・デー」なのだそうです。
この日はアルメニアのお店から学校から、何から何までお休みになる、、、
と聞いていたのですが、近くのお店はやっていたし、美容院も開いてたし、大概のレストランも開いていました。人の話なんていい加減ですね。
ツェツェルナカベルト(虐殺記念館)に僕も行って様子を見てこようと思ったのですが、アララトコニャックの本社、つまりラズダンからツェツェルナカベルトまで延々と歩かなければならない!と聞いてパスしました。よくそんなに歩けるものだと感心してしまう、、、
今現在もアルメニアという国がトルコや周辺国に対して強硬な態度を崩さないのは、この100年前に起きたこの「ジェノサイド」の事があるからなのですが、、、
ふと思うと、もしかして世界中に散らばったアルメニア人をまとめる事が出来る唯一の拠り所やナショナル・アイデンティティーがもしかしてコレしかないのでは?と思ったりもしました。あと、つい最近のところでは「カラバフ戦争」の事など。
実際、この日の為に在外のアルメニア人がワラワラと戻って来てたらしいです。この時期にも関わらず、イェレヴァンの全ホテルは超満員だったらしいです。
もはや「アルメニア共和国」そのものには、それほど求心力が無いのかも?と住んでいて感じる事はあります。
たまに「愛国心」を声高に叫ぶアルメニア系の旅行者を見かける事があるのですが、ハッキリ言って彼等はこの国の現在の状況が全く分かっていません。その辺が、「イスラエルとユダヤ人の関係」と対極にあるので歯痒いのですが、、、
なので、そういう無責任なアルメニア系旅行者に対して、リャンチキは容赦無く「フーン、そう。じゃ、アルメニアに住めば?アルメニア人が住んでいるアパートに住んで、アルメニア人と同じ給料を貰って住んでみれば?ココで子供を育ててみれば?」と言います。すると、大概の人は僕の言ってる事を理解してくれます。
唯一の被爆国である日本人だから敢えて言わせて貰いますが、正直言ってアルメニア人はこの問題に関してヒステリックに騒ぎ過ぎだと感じます。勿論、トルコの蛮行を正当化するつもりは毛頭ありません。ありませんが、ここまでやるとなんか「偽善」ぽく見えてしまいます。
しかし、、、最近この考え方を改めました。何故かと言うと、もはやアルメニアという国の求心力はこの「ジェノサイド」と「世界で一番最初に(何かの間違いで)キリスト教を国教として受け入れた」という事実しか無いと気が付いたからです。
在外のアルメニア人とココのアルメニア人との接点がコレしか無いのです。
在外のアルメニア人も3世になると全くアルメニア語が話せません。しかも、、、コレが同じアルメニア人か???と腰を抜かすほどビックリしてしまう事も少なくないです。やはり、民族云々の問題よりも「生まれて育った場所」に人間は左右されるのだ!とつくづく思いました。
話し方から、物腰、外見に至るまでアルメニア人でありながらも彼等は丸っきりアルメニア人ぽくないです。もはやフランスで生まれた人達はあくまで「アルメニア系」ではあってもフランス人なのです。アメリカで生まれたアルメニア人もアメリカンなのです。
まるでメンタリティーも違います。恐らく、ココに住むアルメニア人のメンタリティーは「ソヴィエト人」のメンタリティーであって、フランスやらアメリカやら他の先進国で生まれたアルメニア人とは丸っきり別物なのです。
なので急速に興味が失せてしまったので、この日はタクシーに乗って他の地域に出かける事にしました。2000年に初めてアルメニアに来た時、唯一改築中で中に入る事が出来なかった教会「エチミアジン」の事を思い出して、行く事にしました。
そしてタクシーをすっ飛ばして「エチミアジン」に到着。「アルメニアで最も美しい教会」と言われるだけあって、外も中も非常に美しかったです。
キリスト教徒ではないのですが、一応蝋燭を買って立ててきました。ふとこの時に思ったのですが、確かに「アルメニアは美しい女性が多いかも?」と思ったりもしました。
蝋燭の炎に揺られて、神妙な顔つきの女性が沢山いたのですが、彼女等の美しい事。たまたま蝋燭の明かりで余計にキレイに見えただけなのかもしれませんが、まぁ、確かにキレイな人が多いかもしれませんね。
男は本当に「凶悪犯」みたいなのばっかりなので、その比較によってアルメニアの女性がひときわ美しく見える!という新説はチョット過激でしょうか?(でも、本当にそう思う)
因みに、アルメニアでは手で十字をきる時、正教やカソリックとは順番が違うので注意が必要です。まぁ、こんな事はガイジンにとってどうでもよい事なのですが、、、アルメニア正教の場合、上、下、左、右の順で十字をきるのです。正教やカソリックは上、下、右、左らしいです。詳しい事は知りません。それと、教会を出る時は司祭の方に背中を見せてはいけないらしくて、出口まで後ろ向きでスリスリと歩かないといけないのだそうです。そんな歩き方に慣れていない僕は案の定、絨毯に足を引っ掛けてコケました。
教会を後にして、エチミアジンの街中を車でグルグルと走ってみました。感想は「この辺までなら、まだ住めるかも、、、」です。イェレヴァンとさほど変わらない!という印象です。まぁ、実際はイェレヴァンよりも遥かに大変なのでしょうけど。
まぁ、でもそんな「ヒッドイ田舎!」ではなかったです。
で、なんとなくこのまま帰るのも勿体無いと思ってタクシーのオジサンに頼んでそのまま「サルダラパート」まで行って来ました。
流石にこの辺まで来ると、「モロにド田舎!」という感じでアパートはまだしも一軒家はどちらかというと日本で言う「バラック」みたいな感じで、外国人にはどうやっても生活出来なさそうです。本当に電気がやっとある!という感じで「テレビもねぇ!ラジオもねぇ!」の世界です。
勿論、100%娯楽なんて無いです。皆、道端で「バックギャモン」をやっています。仕事も無ければ、娯楽も無い。こんな状況は「働き蜂」と呼ばれる日本人を狂い死にさせるにはもってこいの場所かもしれません。
途中、閉鎖されてボロボロに朽ち果てた工場も幾つか見ました。本当にボロボロです。今にも崩れ落ちそうです。が、もはやほったらかしです。道路も非常に荒れています。アッチコッチに穴ボコがあって運転するのも大変です。
流石にこの辺に住むのは「沢山お金を貰っても出来ない」と心底思いました。
さて、エチミアジンは地元の人達が沢山居たのですが、「サルダラパート」には誰も、それこそ人っ子一人いませんでした。つまり僕だけです。逆に嬉しいくらいでしたが、、、残念ながらミュージアムは既に閉館されていて中に入る事が出来なかったのですが、時にはこうして地方都市を訪れてみるのも楽しいですね。
イェレヴァンだけにいると本当に息が詰まりそうになります。時にはこうして、地方都市の様子や人々がどのようにして暮らしているかを見る事も大事だと思いました。
なので、次は「ローリ」地区の「マラカーニが沢山住んでいる街」を訪れたいと思います。
因みにタクシーですが、広告で見つけた安い長距離タクシーを使ったので、走った距離や、待ってて貰った時間なども考慮すると「格安」だったと思います。6000ドラムでした。結構な距離走ってもらったんですけどねぇ。