(61) ラチン回廊
この日は朝、ゴリスで世話になった人に礼を言って「メグリ」をサーッと見てカラバフへと向かいました。
正直言ってドキドキしました。
停戦合意はしているものの未だに「戦時下」にあるナゴルノ・カラバフ共和国(自称)です。
いきなりアゼリーとの銃撃戦が目の前で始まったらどーしよー!等と思ったりもしましたが、まるで杞憂でした。というかカラバフではアゼルバイジャンとのバッファーゾーンまで見る事ができました。「できた」というよりも勝手に入って行きました。
良いのでしょうか?旅行者の分際で、、、?
アルメニアではこの地方の事を「アルツァフ」と呼ぶらしいのですが、「カラバフ」が一般的に広く知れ渡っている名前なのでココでは「カラバフ」と呼びます。
さて、実に微妙なところなのですが「カラバフ」は実質的にアルメニア共和国の「飛び地」と考えて良いと思います。
地図では「Kashatagh」というカラバフとアルメニアの間にある地域も未だにアルメニアのモノなのか、アゼルバイジャン領なのか良く分かりません。僕が持ってる地図では一応「アルメニア領」という事になっていますが、、、
因みにこの時は「Kashatagh」に行く事は出来ませんでした。
カラバフ北部の地域「シャウミアン」も今回の滞在では行く事が出来ず、「マルダケルト」までしか行く事が出来ませんでした。
そのアルメニア共和国からカラバフという飛び地に行くには(今の所)、「ラチン回廊」を通って行くしかないようです。話では「Verdenis」から「Kashatagh」を経由して「Martakert」に行く事も可能らしいのですが、よく分かりません。
なので、確実にカラバフに入るのはやはりこの「ラチン回廊」を経由して行くのが良いでしょう。
アルメニアとは思えないほどキレイに舗装された道でした。
「在外のアルメニア人が資金を投入して作った道路である」とある本には書いてありました。
スターリンに「ナヒチェヴァン」の地を奪われた苦い過去があるだけに、在外のアルメニア人にとっても「カラバフ」という土地は、それこそ命に換えてでも「守るべき土地」だったのかもしれません。
走っている車から写真を撮ったので、あまり上手くは撮れていないのですがどうか勘弁を!
今年の夏にまた行きますので、その時はもっと上手に写真を撮ってきます。
検問所を超えた、ラチン回廊入り口付近。
どこまでも平らで、アルメニアらしくない道路です。
大体、アルメニアに「中央線」がキレイに敷かれている道路なんて無いです。
この辺りからポツポツと民家が見えて来ました。
この日はカラバフもとにかく霧が濃かった。
多くのアゼリー人がソヴィエト時代は共存していたらしいのですが、、、
アルメニアはそれにしても「山がち」な国ですね、本当に。