(3) アルメニアへの旅
何がきっかけでアルメニアに興味を持ったのかも、今思い返してみるとイマイチ釈然としない。
他にも興味がある国はあるのに、実際に行ってみたいと思った国はアルメニアだけだったのですが、、、それも今思うと非常に不思議。
興味があったとはいえ大使館も無い、現地の情報も非常に少ない(無いに等しかった)、知り合いが居るワケでもない、治安が良いか悪いかも分からない「アルメニア共和国」
ですが、思い切り良く決断して単身でアルメニアに訪れて、今こうして住んでいるワケだから何かしらの縁があったのでしょうケドねー。
そして、釈然としないまま今でもアルメニアに住んだりしてる。なんだかんだ文句を言う事をありますが、それでも居るんだから案外と自分では気が付かないケド、気に入ってるのかもしれない。
2000年、カンカンと強い日差しが照りつける夏の日についに(?)アルメニアに来てしまいました。
イェレバン空港
空港はシェレメチボ空港とまぁ、どっこいくらい。
日差しが照りつける分、シェレメチボより明るく感じたのですが、早い話が汚くて、なんとなく寂しい気分に浸れる黄昏の空港でした。トイレに入った時は良くも悪くも旧ソヴィエト連邦の香りがプンプンしていて何だか嬉しくなってしまったり、、、
そして、白タクと喧嘩しながら中心街に着くと、、、
何故かその時は「日本人の誰も知らないアルメニア共和国に来てしまった!」と非常に感慨深かったです。
でも、その時はまさかこの国に住むようになるとは思いもしなかったのですが、、、
およそ3週間の滞在だったのですが、アルメニアの隅から隅までそれこそカラバフの紛争地帯まで踏み込んで旅して回りました。その3週間の間に撮ったデジカメ写真はのべ1000枚以上!結構どうでもいいような風景や物までバカスカ撮りまくっていたもんだから今見てみると、本当にどうでもいいような写真も相当数あるのですが、中にはトルコとの国境地帯の鉄条網写真、メチャクチャに破壊された紛争地域のアパートや、本当は旅行者等は入り込めないアゼルバイジャンとの紛争地域だとか、、、
今思うと、チョットだけ背筋が寒くなるような地域も訪れていました。
あぁ、その当時の自分は信じられないくらい怖いもの知らずでした。
知らなかったとは言え、立ち入り禁止区域だったのに「アルメニア語が読めない」という理由で知らずにズカズカと入り込んで行ったり、日本に居るのと同じ感覚で夜中にヒョイヒョイと散歩したり、買い物に行ったり、、、悪い日本人旅行者の見本ですね、あーぁ、、、
そうそう、南の地域に行った時は1週間くらいシャワーも浴びれなくって自分が臭いのが分かる程だったし、ゴリスのホテルに居た時は、トイレがメチャクチャに破壊されていて困ったりもしたなぁ、、、
ですが、その時のアルメニアに対する印象は正直言ってすこぶる良かったです。
そりゃそうですよね、実際に住むのと旅行で来るのとでは、どんな国でも見えてくるものが違うというのは当然の事。コレは非常に実感しています。ホテルではない、現地のアルメニア人が普通に住んでいるアパートで水不足と冬の想像を絶する寒さと戦うのは「便利な国・日本」で何不自由の無い生活をしてきた日本人にはかなり辛いものがあります。
イェレヴァン滞在中はずっとこのホテルに宿泊していました。
右はそのエレブニホテルから中央広場に向けての景色。
まぁ、今となっては不自由な生活に慣れてしまい、日常的に起こる非日常的な事を愉しむ余裕まで出来てしまって何やら日本に帰るのが逆に怖い程です!(ハハハハハ!)
「今なら何処にでも、どんな生活をしてでも生きていける!」
という妙な自信までついてしまいました。
とにかく旅行だと良い所しか、えてして見えてこないものですよね。
一応安いケドもシャワー以外は特に不自由の無い ホテルに泊まって、移動する時も車を使ってたんだから、、、出来れば、その時はもっと歩いてゆっくりと町並みを見たかったのですが、この国で最初に友達になった人が「とにかく客人にアルメニアのデコボコ道を歩かせるワケにはいかない!」等と言われてしまい、何処に行くにも車、しかも目的地まで猛スピードで一直線に行っちゃうもんだから、ゆっくりと景色を愉しむなんて事は殆ど出来ませんでした。
出来ればもう一度、この日本の国土の13分の1しかない小さなアルメニア共和国を隅から隅まで旅したいと思っています。
勿論、ナゴルノ・カラバフも含めて、、、
あ、行ったことが無い地域もあるゾ!「KASHATAGH」にはその当時は行けなかったので、今年中には行くつもりです。今度は1ヶ月くらいかけて、地元の人の話をゆっくりと聞きながら、と思っていますが、現実問題として地方に行く電車の殆どが運休していない今では車無しだとチョット難しいかもしれない、、、