(23) 反省と総括
まず、反省すべき点については、、、特に無い。
唯一、心残りだった点に関して言えばどうしても行ってこの目で確かめてみたかった「北コーカサス(ロシア風に言えばザカフカス)」の地域に行く事が出来なかった事だ。
偶然友達になったアルメニア人がヴラジカフカスに住んでいて、メールのやりとりをする度に「一度は遊びに来て欲しい。そんなに治安は悪くない」と言われていたので、社交辞令と分かっていても行って見てみたかった。
「ヴラジカフカス」、、、何ともロシアらしいネーミングである。ヴラジはロシア語の動詞「владеть+造格(所有する、制圧する)」つまり、意味は「ロシアによって制圧されたカフカス」。日本のお隣さん「ヴラジオストク」は「ロシアによって制圧された東方の地」。
本当に治安が良いのかどうかは分からない。分からないけれどもCISの辺境「北コーカサス」は自分にとって謎に包まれた魅力的な土地だった。いずれは行くと思う。しかし、次にまたアルメニアに戻って長期的に住むのは
秋以降だから当分の間は無理なような気がする。アルメニアの首都イェレヴァンでさえ冬は相当に厳しい。イェレヴァンでさえ生活基盤が破綻しているのだから、恐らくあの地域も相当に厳しいのだろうと思う。第一、冬は道が凍っていて陸路はとにかく危ない。
他にも、チェチェン、ダゲスタン、イングーシ、南北オセチア、アブハジア等訪れてみたい地域は沢山有った。では、何故行けなかったのか?
アルメニアに限らずCISという特殊な地域に住んでいる人なら分かって貰えると思うが、「とにかく時間が無かった、足りなかった!」の一言に尽きる。しつこいようだがコチラの人間は基本的に「時間は無限にある」という考えが今でも定着している。何をしようとしても時間が「アッ」という間に過ぎる。コチラの人間は平気で人を何時間でも待たせる事が出来る。そんなもんだから、自分の仕事に対する責任感というのは恐ろしい程に希薄だ。
ココでCIS諸国の現状と本質について書かなければならない。アルメニアに限らず、CIS諸国、特に「コーカサス」が好きだからこそ今回は敢えて苦言を呈させて頂く。
僕はこの国(及びCIS)が「国として」マトモに機能するようになるには少なくとも50年はかかると思っている。ロシアはもう少し早いかもしれない。闇雲に「50年」という数字を出したワケではない。
この「50年」が意味する所は、悪しきソヴィエト体質を残した連中が一人残らず死に絶えるまでには、少なくとも「50年」かかるという意味だ。
イェレヴァンに住む日本人の友人ともコレについてはよく話していたのだが、今の時点で35歳を越えている「旧ソヴィエト人」はやはりダメだ。自分等とは余りにも感覚が掛け離れているし、仕事というものに対する取り組みも考え方もメチャクチャだ。(個人的に付き合うなら良い人達なのだが、、、)
別に「彼等も日本人のように働くべきだ」等と言うつもりは毛頭無い。今スグに先進国の労働システムをこの国の労働者に押し付けたら間違いなく全員「ノイローゼ」になってしまうだろう。
彼等は日本人のようにスグに自分の非を認めて謝罪するという事は皆無だ。日本人は少しでも自分に非が有る事を認めるとスグに謝ってしまう。コレはCISではあまり良くない態度だと感じる。この国の人間は何か問題が生じると開口一番「自分のせいじゃない。自分には非が無い!」と言う。
明らかに非があってもそれを認めようとしない。これは様々なビジネスの場面やプライベートの場面でも数え切れないくらいに遭遇してきた。
どうしてかくもCIS人は自分の非を認めたがらないのだろうか?
一つには、「ソヴィエト社会」というのは恐ろしい程に徹底的な「縦割り社会」であり例え同じ会社の隣の人間が問題や不祥事をやらかしても「自分には関係が無い」と簡単に言い切ってしまうからである。これは今に至ってもそのままだ。「隣の人間の仕事は隣の人間の仕事、私には一切関係ない」というシステムだ。彼等に、他人の仕事を自分がしよう等という考えは完璧に無いと言い切れる。
会社全体で起こる事を我が事のように考える人と会った事は残念ながら皆無だった。隣の人間、組織全体との連携なんて彼等にとっては知った事では無い。そのような労働スタイルだから、誰も仕事に対して責任なんか持たない。責任感を真摯に受け止めて仕事をしようが、適当に遊んでいようが給料は同じだからだ。
だから、例え外国と取引のある「国営の工場」であってさえも隣の電話がどんなに鳴っていても「不在の人間の受話器」は誰も取らない。至る所で電話があれほどジャンジャンと鳴っているにも関わらず、全く誰も受話器を取ろうとしない態度には呆れると同時に我慢強ささえも感じた。だからか?アルメニアはカフェに行こうが何処に行こうが騒々しい。(僕は電話が大嫌い。最もうるさくて神経を逆撫でする最悪な「文明の利器」だと思ってる。)
実際、たかだか14枚の紙ッキレ(書類)を貰う為に「4週間」も待たされた事もあった。信じられない話だが、1枚の書類のこの部分はAさんの仕事、この部分はBさんの仕事、ココはCさん、あそこはDさんと仕事の内容が細かく分けられている。(コレはマジな話)しかも順番が決まっていて、Bさんの所で仕事が止まると次に絶対に進めない仕組みになっている。Bさんが忘れたり、仕事をするのを面倒くさがったりしたら非常に危険だ。かと言って他の人がBさんの仕事をするハズが無い。出来ないのだ。(この時点で、種々のプレゼントやら賄賂を有効に使わなければならない。)万が一、トラブルが発生した時はその罪が全てなすりつけられるからだ。
そんなもんだから、日本人なら1人で10分でやるべき仕事をコチラの人間は10人がかりで1週間もかけてしまう。腹立たしい事この上ない。
ソヴィエト時代から変わらず、CISの組織という組織はトラブルが発生すると直ちに組織の末端に責任の全てをなすりつける傾向がある。つまり、責任の所在を闇から闇へ葬ろうとする。そして、隠し切れない位の大事件だったりすると下部の組織でどうにも出来なくなる。その時に、初めて上層部の連中が事の重大さに気が付き慌てだす。今のアルメニアもまさにそう。
良い例が、ソ連時代のチェルノブイリの原発事故だろう。ウクライナ北部で発生したこの事故は、当初ソ連の共産党幹部は徹底的に隠そうとした。実際、ソ連人がこの事故の事実を知ったのは事故後のかなり後だった。世界中の新聞やニュースがトップでこの事件を扱って大騒ぎしていたにも関わらず、当時、ソ連人達はこの事件をしばらくの間知らされなかったのだ。
あの時、スウェーデン政府が放射能の異常を察知してソ連政府に問い合わせていなかったらソ連共産党はひたすら自国民に対しても世界に対しても事故の事実を隠し続けたであろう。というよりも、当初ソ連政府は「大した事故じゃあーないよ」くらいに思っていたのかもしれない。
事故を発表した時、政府紙「イズベスチャ」は以下のように発表していた。「チェルノブイリ原子力発電所で、事故が起こって二人が死亡した」しかし、政府のデタラメや詭弁に対して感覚を研ぎ澄ましているソ連人なら文面に隠された本当の意味を読み取る。「きっと大惨事が起きたに違いないッ!」と、こんな感じに。
「グラスノスチ」を錦の御旗にソ連の改革を行おうとしたゴルバチョフはこの事故の処理を誤って大きな黒星を喫した。(やはり、掛け声だけだったのだろうか?)彼もやはり典型的な「ソ連型の官僚」だったという事だ。
CISの国々の経済が破綻して低迷するのはある意味、当然の帰結なのである。キツイ言い方だが、ダメに成るべくしてダメに成ったのだ。
確かに法律や国家が長い事国民を守らずに、むしろ「虐げて」きた国々だ。国民は法律なんて守らないし、隙あらば「不正」を行う。僕は住んでいる間に国家、国民が行う大なり小なりの不正をするのを数限りなく目撃してきた。
CIS人は「ソヴィエト」を口では罵っていても、そのソヴィエト時代のスタイルがCISの至る所に色濃く残っている事に気が付いていない。彼等は山奥に生活する人と同様に「シャバの世界」がどのように動いているかを知らない。ここにCISの経済発展を阻害する要因がある。
加えて、アルメニアの「老害」は深刻だ。年寄りほどソヴィエト色を色濃く残している。何処に行ってもこの「ソヴィエト型の長老」には本当に辟易させられた。コチラが恥ずかしくなる程の強烈な「田舎モノっぷり」を見せ付けられたし、トコトンまで嫌がらせをされた。イチイチ機嫌を取らなくてはならないのでとにかく疲れる。
ソヴィエト(特にコーカサス)でビジネスをする場合、如何にして「コネ」を作るかという事と如何にして「吹き出さず」に相手の話を真剣に聞き、適当に相手の機嫌をとって国をよいしょ出来るかが重要である。コレはマジメな日本人にとってはある種の「苦痛」だ。CISでビジネスを始めようとしている人や日本企業に、僕ならこうアドヴァイスする。
「ヤメとけ!」と。せいぜい旅行するにとどめておいた方が良い。
僕の知っているブローカーの女性は交渉途中に相手にキレて心臓麻痺を起こしてしまった。目撃した時は物凄くショックだったが、CISでの生活のストレスを思うとこのような事は日常茶飯事なのだろう。「マジメな人、真剣に生きている人ほど損する」社会構造なのだから。
日本の誇る大企業の「トヨタ自動車」がロシア西部に工場を建設する予定だと言う。ポーランドに工場があるからだと言われているらしいが、ロシア西部に工場を作るというのはある意味、「最もリスクが少なく、期待値が高い」という意味で大いに正解だと言える。「西高東低」とはよく言ったものだが、ヨーロッパに近いレニングラード辺りとサハリンでは同じロシアでも全く違う。
残酷な物言いかもしれないが、CISは「外資の圧力」に晒されるべきだ。CIS、そしてアルメニアという特殊な地域が好きだからこそ僕は敢えて苦言を呈する。知らない事は仕方が無い。知るように努力をすれば良いだけなのだ。新しい世代の人達は、外の世界から入ってくる新鮮な情報を貧欲に吸収しているからこの国、及びCISは少しずつだけれども変化する兆しはある。
だが、変化をかたくなに拒み続ける人達が居る。それが「ソヴィエト型、官僚型」人間だ。何故彼等は「変化」を恐れるのか?それに対する答えはとてもシンプルだ。その変化は、自分の権益等を大いに損ねる可能性があるからだ。
こうした人達の悪しきDNAが死滅するには、、、やっぱり50年はかかるかな。
もう一つ、心残りだったのは「ロシア語」に関して。忙しい事を理由に、ロシア語の勉強をかなり怠けていた。コレは、真摯に反省しなくてはならない。
今でもアルメニアではロシア語が喋れる事はやはり重要だ。公的機関の文章等は今でもやはりロシア語で書かれたものだし、生活の様々な点において、ロシア語が必要だと痛感させられる。
但し、この「ロシア語」というのは恐ろしく厄介な言語だ。ある人からロシア語は印欧語の中で唯一「進化から取り残された言語」だと聞いた事がある。最も進化した印欧語は英語。確かに英語は文法がとてもシンプルだ。そして、最も文法から正書法まで進化に取り残されたのが「ロシア語」らしい。
ロシア語はアルメニアに来るまで勉強した事も無かった。挨拶言葉すら知らなかった。ロシア語の必要性を感じて勉強を始めた時は、ロシア語がまさかこんなに難しくてややこしくて、文法がパズルのようにこんがらがってる言語だと露程も思わなかった。
詳しい事は省くが、半年勉強した時点で正直ロシア語を勉強する事が「イヤ」になっていた。理由は、、、難しいからだ。単に文法だけでなく、読みもアクセントの位置が分からないと正しく発音出来ないし、僕にとっては特にロシア語を「書く事」が苦痛だった。
それに加えて、ロシア語を学ぶにはアルメニアは決して良い場所ではなかった。ロシア語はやはり、ロシアで学ぶのが一番良いと思う。普段の生活から正しいロシア語を聞いて生活する環境が最も語学力を伸ばす。
アルメニア人は、人にも拠るけれどかなりデタラメなロシア語を喋っている。(個人的な印象では、グルジア人の方が上手にロシア語を喋っている印象があった。)そのデタラメなロシア語を聞いて自分の中に一度インプットされてしまうとそれをもう一度、頭の中で正しく置き換えるには幾らか時間が掛かってしまう。こういう例は沢山有った。ロシア人に言い回しを直されるまでそれが正しいと思い込んでいた事は沢山有った。
正直に言うと、恥ずかしい事にロシア語の文法が頭の中で体系的に定着するのに1年もかかってしまった。今でも複数形の「生格」に関しては幾らかアヤシイ。よっぽど自分の勉強の仕方が悪かったのかもしれないが(イヤ、悪かったのだ)、今になってみると「難しい、難しい!」と言って自分を怠けさせていたようにも思える。
もっとも、たかだか1年チョットロシア語を勉強したくらいでロシア語の全てを知ろうなんていささか調子が良すぎる。このような取り組みの難しい複雑な言語に対しては根気よく継続的に勉強しなくてはならない。自分はただ単にそれを怠っただけだ。
自分なりに「どうしてロシア語が難しいのか」を分析してみた所、「喋っている事を文字にイメージするのが難しい印欧語だからだ」と結論した。
英語は喋ったと同時に書いた時の事も容易にイメージが出来る(僕の場合)。同様に、喋った通りに書けば殆ど正しい言語(スペイン語、イタリア語、ドイツ語等)は幾らかドイツ語のように文法が難しくても比較的、習得が容易なのではないだろうか?
そういった言語と比べると、ロシア語というのは喋った時に書く事(文字)をイメージする事が難しい。僕みたいに「喋れるし、読めるけれども、書くのは苦手」というロシア語学習者は多いと思う。実際、アルメニア人もロシア語を書かせると僕でさえ気が付く間違いをよくしていた。
僕が知っている限りにおいて「ь(ミヤフキーズナーク)」がある言語はロシア語(東方スラブ諸語)くらいだろう。アルメニア人はコレをよく書き忘れる。
他にも、日本人には発音に関して大きなディスアドヴァンテージがある。
「р」と「л」、「б」と「в」の発音の区別は日本人には難しい。
「ш」と「щ」の発音の区別は今に至ってもついぞ出来ない。
「и」と「ы」も慣れない内はなかなか聞き取れなかった。
漢字のように見たまんま覚えれば良いかというと、そうもいかない。格変化する事によってアクセントの位置が変わるものも多いし、単数形と複数形でまるで違うものも少なくない。かくも複雑な言語なり、、、
が、言語は死ぬまで勉強し続けなければならない「学問」だから素直な気持ちでコツコツとやらなければならないのだろう。僕は別に言語のプロフェッショナルになるつもりはないけれども、始めた手前、ある程度満足がいくまでは勉強し続けるつもり。
そして勿論、アルメニア語も。
が、アルメニア語の勉強に関しては、、、正直言ってモチベーションが下がりまくり。正直言ってグルジア語同様、自分には(日本人には)あまり美しく響く言葉ではない。どちらかというと、「がさつ」で「うるさい」言語だ(喋る人にも拠る)。文字としての面白さや美しさはアルメニア語やグルジア語は大いにあると思う。しかし、イタリア語やロシア語のような言語の「音としての洗練された美しさ」はこれらの言語には無い。しかも、「僻地の少数民族語」というのが追い討ちをかける。
僕はアルメニア人の、特に男性がずっとアルメニア語で喋り通しているのを聞いていると正直、頭痛がしてくる。「そんなに大きな声で喋らなくても聞こえているよ」と言ってるのに、とにかく大きな声で喋る。日本人には「うるさい」と感じる音量が彼等の普通の音量なのだ。
コレに関しては、コッチに住んでいる日本人の友人も不思議に思ったらしく、二人で「何故、アルメニア人、グルジア人はかくも大声で喋るのか?」をアレコレ議論していた。議論の落ち着く所は、
「この国は国全体の標高が高い。山の上で暮らしているのと同じ。だから、大きな声じゃないと相手に届かない。または、高山病の一種で日本人に比べると耳が少し遠い人が多いのかもしれない」という所で決着する。
この議論の決着には一応裏付けがある。
アルメニアの車のクラクションは日本の車のソレと比べると(音量が)恐ろしくウルサイ。しかも、イギリス人が見たら卒倒するほどクラクションを鳴らしまくってる。まぁ、サイドミラーもニアミラーも全く見ないで好き勝手に運転している人達だからクラクションを鳴らしまくって車の存在と位置を周りに示さないと国中で車がクラッシュしまくるからだろう。アルメニア人の運転は正直言って怖い。
よくぞこの騒音の中で平静を保っていられるものだと素直に感心する。レストランでもカフェでも強烈な音量で音楽をかけている。アルメニア人はその音量に負けないように、バカでかい声で会話(怒鳴り合い?)している。ついぞ、この「アルメニアの騒音」に僕は慣れる事が出来なかった。(当たり前だ!)
元々の言語構造がそうなのかもしれないが、日本語のように口先の動きだけで喋れる言語ではなく、アルメニア語は喉の奥まで使い、口の開閉も、舌の動きもダイナミック。アルメニア人には申し訳ないが、アルメニア語は僕にとっては耳にスリコギを入れられているかのような、とてつもなく攻撃的で騒々しい言語である。
が、僕は筆記体で書いた時のアルメニア語はとても美しいと感じる。アルメニア語の筆記体は文字自体に芸術点をあげたいほどだ。言葉と文字のギャップがこれほどまでに掛け離れた言語もなかなか無い。地方に出掛けた時に出会ったアルメニア人から貰った手紙は大切にしまっている。
一方、ロシアやウクライナに居る友人から手書きの手紙を貰うと読むのに苦労する。クセがあり過ぎて、どちらかというと「解読作業」のような感じになってしまう。特に、男性で悪筆な人から手紙を貰うと物凄く苦労する。
「外国語を学ぶ」というのは、途方も無い苦痛を伴う。しかし、諦めずにコツコツと継続させて、その学んだ言語で外国の人とコミュニケーションがとれるというのは、とても楽しい事だし素晴らしい事。苦労があっても、相手の喋っている事が分かったり自分の考えや意思を相手に分かって貰えたりする事は、語学を学ぶ者にとって大きな励みとなる。
僕は「外国語を喋れる事」がエライ事だともスゴイ事だとも全然思っていない。ただ、少しでも喋れると「異文化を知れる機会を持てる」という意味では、その人の人間性に幾らか幅を持たせてくれるような気はする。
その「語学を学ぶ楽しさ」を知ってしまった人間は、辞書を片手に今日も頑張る!のかと言うと怠け者の自分は「なんとか楽したい」と逃げ回っているのだ、、、あぁ、情けない。が、自分の怠け心にに鞭を打ってたとえどんなに忙しくても勉強は続けようと思っている。
アルメニア人は外国人がアルメニア語を喋るとビックリするし、人によっては物凄く喜んでくれる。勉強のし甲斐は大いにある言語だと思う。(いずれ、このホームページの「アルメニア語」の部分を充実させるつもりだ。)
アルメニアやCISでの生活は辛くて大変な事が多い。だからこそ、時々巡り会う小さな幸せを有り難く感じるし、奇跡のようだとすら思う。外国で生活するにはそれなりの覚悟は大いに必要だ。だけど、そんなに構える事はない。悪い人とも出会うが、一生付き合える良い人とも必ず出会える。
、、、だけど、CISに住むと性格が悪くなると思う。アルメニアに住んでいた(住んでいる)日本人は皆その事を危惧していた。僕も疑り深くなったし、誤魔化されているんじゃないかとしつこいくらいに話を突っ込むようになってしまった。コレがCIS生活の最大の欠点だと思う。
良い事か、悪い事かは今では判断出来ないが、CISで生活するとチョットやそっとの事では動じない「強靭な精神力」が身に付く。「毎日が非常事態」のような国々だから、イチイチ驚いていたら身が持たない。精神修養する修行の場としては最高の場所だと思う。気が弱い人や(特に)マジメ過ぎる人には絶対にお奨め出来ないけれども、ほんの数年だけ人生を寄り道してみたい人は住んでみると良いかもしれない。
だけれども、、、日本に住んで生活するのも大変ッ。特に「ゴミの分別」!
管理人さんに厳しく言われたので、一度捨てたゴミをもう一度不燃ゴミ、可燃ゴミに分け直した。面倒くさい事この上ない。
意外だったのが、コンビニの袋は「不燃ゴミ」だと言われた事。うっそぉーん、燃えるでしょうよ、コレは。
試しにベランダで燃やしてみた。すると簡単に燃える。
「おばちゃーん、コレ燃えますよーッ!!!」と言いに行こうとしてゴミの分別に関する小冊子を読んでみた所、なんとォ!
「燃やすと有毒ガスが発生するので、不燃ゴミ!」と書いてあるのに気が付いた。
、、、最初に書いてくれよ。ワザワザ実験までして損しちまったぜぃ。
アルメニアではゴミ箱に何を捨てても「OK!」である。一回犬の死骸まで捨てられているのを見た時は流石にビビッたが、それこそ、基本的にはビンも缶も関係無し!何でも捨ててOK!
そんな国に慣れてしまったものだからもぅ、、、日本の分別ゴミは本当に大変ッ!牛乳パックは再資源ゴミだから、分けて捨てなきゃいけないんですかぁ?面倒臭いーッ!ペットボトルは分かるけれどもさぁ、、、それにしてもヤヤこしいなぁ。
しかも、東京での生活はアルメニアでの生活の悪影響が出まくり。
まず、「トイレに行って水を流さない」、、、日本人として最低ですね。どんなに用を足しても流し忘れます。特に「小」だと。逆に、「どうして日本はいつも水があるのだ?ソッチの方が不思議なくらいだ!」ってなもんで。
水が無い生活に慣れすぎてしまったせいだろうか?水を無駄に使わないように常に心掛けていた。しかし、流石に東京で生活するにあたってコレは非常にマズイよなぁ。
アルメニアで溜まりまくった「垢」を落とさなくてはなりませんね。