(11) アルメニアに居るガイジン
多くは大使館関係の人、仕事で来ている人、留学生、その他イロイロです。そして、ご多分に漏れず日本人というのはかなり珍しい部類の「ガイジン」です。
この国では所謂「白人」と呼ばれる人たちよりも日本人やら朝鮮人といった極東アジア人が特に目立ってしまいます。黒人さんに至っては、「鬼が出た!」と言わんばかりの驚きようです。
正直言って、歩いているとまるで「宇宙人をみてしまった」という顔をされるので困ってしまう事がしばしばあるのですが、まぁ、仕方ないですね。
さて、どんな「ガイジン」がアルメニアに住んでいるのでしょうか?留学生でとにかく多いのが「インド人」です。多くは医科大学に通ってるそうです。学費が安いから留学しているそうです。
次に多いのが意外な事にアラブ人です。主にイラン人やらサウジアラビア人、シリア人等です。アルメニア人とは顔つきが微妙に違うのでスグに分かります。たまたま話したアラブ人の話だとアラビア語は基本的に母音が3つ(2つって言ってたっけかな、、、忘れた)しかないので、母音が沢山あるアルメニア語やロシア語を覚えるのは非常に苦痛だッ!と語っていました。
そして、やはり外国で生まれたアルメニア人も「望郷の想い」を胸に「遥かなる憧れのアルメニア」に留学でやってきます。このまえ、偶然シリア生まれのアルメニア人留学生と話したのですが、アルメニアの余りのヒドさにショックを受けたらしいです。ハッキリと「我が祖国ではある。が、俺はアルメニア人がキライだッ!」とアルメニア人のクセに思いっきり言っていました。実は大半のアルメニア系留学生が失意を胸に秘めて、帰って行くらしいです。
ハテ?コレは一体どうしたことでしょう?意外だったのですが、アルメニア共和国で生まれたアルメニア人は外国で生まれたアルメニア人の事を思いの他キラっています。
だから生まれた場所が違えど同じアルメニア人なのに、旅行者としてやって来る「在外アルメニア人」を平気で騙したりします。
そして、特にアゼルバイジャン、トルコ、グルジアで生まれたアルメニア人同胞をキラう傾向があるらしいです。確かに、それらの国で生まれたアルメニア人達は必ずしもアルメニア語が喋れるワケではありません。(かろうじて喋れるケド、読み書きが出来ない人が多いらしい)
しかし、同じCISで生まれたのであれば所謂ソヴィエト時代の「共通母語」であるロシア語で意思の疎通が出来るハズなのですが、、、
さて、アルメニアで生まれたアルメニア人ではない人達についても書いておきます。まず、昔ほどではないらしいのですがやはり圧倒的にロシア人が多いです。ソヴィエト時代はロシアよりも遥かにカフカスの方が経済的に豊かだった為に移民して来たロシア人達が多かったらしいです。勿論、ソヴィエト時代にアルメニア人と結婚したからアルメニアに住んでいる、というロシア人も結構います。
今では殆どが「連邦崩壊後」に出て行ったらしいのですが、、、
勿論、時の権力者によって「アルメニアに住む事を余儀なくされた人達」も居ます。
代表的な人達が「マラカーニ」と呼ばれるロシア人でしょう。普通のロシア人と違うのか?と言えば確かに違います。
男女とも、外見に非常に特徴があるので見るとスグに分かります。
男性は物凄い「ヒゲ」を生やしています。建設作業員が多いです。
女性はいつも「スカーフ」を頭に被っています。スカートしか履かないらしいです。
若いマラカンカの中にはスカーフを被らない人も居るらしいのですが、、、
この人達はキリスト教徒なのですが、教会には絶対に行かない、十字架は受け入れない、マラカーニ同士じゃないと結婚出来ないなどという特徴があるらしいです。
彼らは、エカテリーナが権力を握っていた頃にロシアから追い出された末裔達なのです。他のカフカスの地域には居ません。
何故かアルメニアにだけ居るそうです。
流石に、国の困難な状況を顧みて先祖に申し訳なく思いながらもロシアに帰っていく(?)人が結構最近では多いらしいです。
ですが、今でもマラカーニはアルメニア中に居ます。南の町「ゴリス」の近くには、「マラカーニ」だけが住んでいる村があると聞きました。
ステパナケルトに行った時はマラカンの気の良いオッチャンにそれこそ下にも置かないほど、親切にされてしまいました。
そして、スターリンの政策で強制移住させられた他のソヴィエト人も居ます。自由に祖国に帰れる今となっても何故か帰ろうとしない所が非常に不思議です。代表的なのは勿論、「ロシア人」「ウクライナ人」「リトアニア人」等です。
何故か、それぞれの民族ごとに集落があってその中で細々と暮らしています。
一体、何語でどのような教育をしているのか非常に興味深いですね。
そして、それ以外にもいろんな歴史深い民族が沢山住んでいます。昔は「トルコ人」も「アゼルバイジャン人」もアルメニアに住んでいたらしいです。今は勿論、居ません。ごくごく僅かな「アゼルバイジャン人」が南の方に居るらしいのですが、未確認です。
ギリシャ人も昔は結構住んでいたらしいです。あと、アッシリア人やイェズディ人、クルド人、ユダヤ人などなど、、、
一度アッシリア人のみが住んでいる場所に訪れた事があるのですが、パッと見た感じ、外見ではアルメニア人と殆ど区別がつきませんでした。
皆アルメニア語が喋れるのですが、それぞれ独自の言語を持っており普段の生活ではそれらの言語で喋っているそうです。
クルド人は外見もさることながら、家が非常に特徴的です。とにかく、彼らの家にはドアも窓も全くついていません。厳寒期のアルメニアでもこの状態らしいです。(死ぬゾ、お前らッ!)「客人が何時来ても入って来れるようにする為に、開けっ放し」なのだそうです。とてもしんどい「伝統」ですね。
だからといって貧乏なのか?というと実はそうではなくて平均的なアルメニア人よりも遥かにお金持ちが多いらしいです。彼らは沢山「金」を持っているらしいです。
(アルメニアには金の鉱脈があるらしいです。何処にあるのかな?)
流石は歴史の深いコーカサス地方。
アッシリア人なんて後にも先にも多分、アルメニアに居る時のみでしょう、見たり、喋ったりする機会があるのって、、、
そして、アルメニア人にとって「ジャポナチ(日本人の事)」は希少な天然記念物です。地方に行けば行く程、好奇の目に晒されてしまいます。
いい加減、僕がアルメニア語をチョット喋ったからといって「ギョッ」とするのはヤメテ欲しいゾッッッ!!!ミニバスの中、レストランの中、役所の中、、、
恥ずかしいったらありゃしない!
まだまだアルメニアは「鎖国」の真っ最中なので、ガイジンに免疫の無い人が多いのです。
コレばっかりは仕方が無いですね、、、