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アルメニア在住経験者によるエッセイ、生活情報、写真。アルメニア語講座。

(35) アルメニアは誰に住みよいか

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まるでパクったようなタイトルでスミマセン。ええ、パクりましたよ。
ネクラーソフの「ロシアは誰に住みよいか?」のパクリです。

「『アルメニアは誰に住みよいか?』って、アルメニア人に住みよいに決まっているのでは?」と思うでしょう?でも、意外と、アルメニアはアルメニア人にとっても住み辛い国なのです。

「ははぁ、多分インフラがメチャクチャで冬は寒いし、道路はデコボコだし、アパートはボロボロでベランダがしょっちゅう落っこちるし、何だしかんだし、、、当のアルメニア人も愛想を尽かして国から沢山出て行っているくらいなんだから、アルメニアという国は、アルメニア人にとっても外国人にとっても住むのが大変だ!という意味だな」と思ったアナタのその意見も半分は正しい。

ソコソコの国や、先進国で育ったアルメニア人や外国人にとってアルメニア(及びコーカサス地方)という国は結構「生活環境」が厳しい。但し、コレは人によりけりで僕なんぞはスグに慣れた。「無いものは幾ら文句を言っても仕方が無い」と腹をくくれば、どこでも住めたりするワケです。

しかし、住んでいて面白い事に気が付いた。

生活環境を無視しても、意外な事に「あるアルメニア人にとって、アルメニアは住み辛い国」だと知りました。さて、その「あるアルメニア人」とはどんな人達でしょうか?

以前、「アルメニアに限らずコーカサスは強烈な『村社会』」と書きました。

コーカサスは、文化的にも地理的にもアジア、ヨーロッパ、アラブ等の社会が複雑に入り乱れる非常に微妙な土地柄。コーカサスはこれらの文化(宗教)性の折衷する地域の割には、意外なくらいに閉鎖的な土地柄だし、人々もどちらかというと「よそ者」を遠ざけようとする傾向があります。

割と、コーカサスにまるで無関係な外国人、例えば「日本人」とかがこの地に来ると案外と親切にしてくれたりはするのですが、それでも閉鎖的な土地柄だと住んでいる時に感じる事は度々ありました。

そして、その閉鎖的な「村社会」の性質は、意外な事に同胞のアルメニア人にも向けられたりするワケです。但し、コレは歴史的に形作られた民族の性質云々ではなくて、割と最近、ここ数年の間に起きた事が起因するのかもしれませんけれどもね。

結構、アルメニア人(特に男)は、アルメニア以外で生まれたアルメニア人を嫌っています。

その最もアルメニア生まれのアルメニア人に嫌われているアルメニア人(←あー、ややこしい!)と言えば、アゼルバイジャン生まれのアルメニア人でしょう。何故か、特に嫌っているようです。

両国で戦争が起きたのは、別にアゼルバイジャンで生まれたアルメニア人が悪いワケじゃないのだし、何で嫌うんですかねぇ?むしろ、スムガイトの事件だって一方的な被害者だったワケで。彼等は、たまたまアルメニア人だけどアゼルバイジャンに生まれてしまっただけなんですけどねぇ。

アゼルバイジャン生まれのアルメニア人は、自動的にロシア語で授業を受ける学校に行くのでロシア語は問題無く喋れるし、読み書きは出来るけれども、アルメニア語はてんでダメ。たとえ喋れても、読み書きが出来ない人が殆ど。だから、アルメニア生まれのアルメニア人にはその点が気に食わないというのも理由の一つらしい。

しかし、アルメニアの地方は別だが、イェレヴァンにはアルメニア語よりもロシア語の方が得意だという人は多い。むしろ、アルメニア語の読み書きはあやふやで、家の中で家族とはロシア語だけ喋っている、という人もイェレヴァンとカラバフに限ればかなり居る。アルメニアで生まれたのに、アルメニア語がマズイという人も居るのだからおかしな話だ。

独立後の大統領、テル・ペトロシャンとコチャランの二人は、実はアルメニア人だけれども「元・外国人」だ。テル・ペトロシャンはシリア生まれ。コチャランは元アゼルバイジャン領のナゴルノカラバフ生まれ。言うなれば、「外様」がアルメニアの大統領をやっている(いた)。アルメニア人にはソレも気に入らないのだろう。大統領の能力や資質なんて重要ではないのだ。

実際、コチャランのアルメニア語は相当たどたどしい。ロシア語を喋っている時みたいにスラスラと喋れるワケではない。恐らく、アルメニア語の読み書きは出来ないのではないだろうか?

ウクライナのクチマ大統領は、毎日執務開始前の1時間をウクライナ語のレッスンに充てているという。今頃、コチャランも慌ててアルメニア語をレッスンしているのだろう。

ソヴィエト時代は、トルコ人もアゼルバイジャン人もアルメニアには沢山住んでいたらしい。単に、戦争が原因で両民族が憎しみ合っているとは思えない。(ウクライナやロシアで生まれたアルメニア人やアゼルバイジャン人は、そういう感覚は無いらしい。)

思えないのだが、何故かアルメニア人はアゼルバイジャン生まれ、特にバクーで生まれたアルメニア人を嫌うのだ。

バクーで生まれたアルメニア人の事を、アルメニア人はロシア語でバキンツィ(男)、バキンカ(女)、アルメニア語でバクヴェツィ。(アルメニア語は男性、女性の名詞の区別は無い)

意味も無く、アルメニア人はバクー生まれのアルメニア人を「ミャオ、ダー?」と言ってからかう。(「ミャオ」は猫の鳴き声。「ダー?」はロシア語のYesの意味。)不思議と、バクー生まれのアルメニア人はロシア語を喋ると最後に「ダー、(ダー?)」と言うのでソレをからかっているらしい。(なので、バクー生まれのアルメニア人は喋るとスグに分る。)

身近にアルメニア人が、バクー生まれのアルメニア人を嫌っている例があったので紹介しよう。

2004年、ウクライナに行く時はモスクワを経由した。(思えば、モスクワ経由は失敗だった)その時に、時間があったのでモスクワに住むアルメニア人の友達「カリネちゃん」と会った。以下は、その時の会話。



ワシ:「お兄さん所でお子さんが生まれたそうで。『おめでとうございます』とお伝え下さいね。」

カリネ:「おめでたくなんかないわよ。オメデタイのは兄貴の頭の中だ!」

ワシ:「はぁ?お兄さんがどうかしたの?」

カリネ:「よりによってバキンカと結婚したのよ、バキンカとッ!!!」

ワシ:「(ほぉ、知らなかった)バキンカつっても、アルメニア人なワケだし。」

カリネ:「なんだって、兄貴も32歳のオバンと結婚したのかしらね?しかもバキンカだしッ!」

ワシ:「歳なんて大きな問題じゃないでしょ?お兄さんだって、確か35、6歳でしょう?」

カリネ:「36歳。何でもっと若いのを見つけなかったのかしらねぇ?(←お前は小姑かッ!)」

ワシ:「(32歳でオバンって、、、)お兄さんも36歳なら、自分で相手を探すし
    自分で相手を決めるでしょーよ。祝福してあげたら?」

カリネ:「ヤだッ!私も両親も兄貴の結婚式には出なかったのよ!
     最近産まれた兄貴の子供だって写真でしか見たこと無い!(←ソコまでするかね?)」

ワシ:「じゃ、御両親もお兄さんの結婚を良く思っていないんだ。
    でも、それじゃお兄さんだけじゃなく、お嫁さんも孫も可哀想じゃない?」

カリネ:「イヤなものはイヤだッ!!!」


アルメニアに限らず、コーカサスは結婚が早い。田舎の方は、今でも早いらしい。「15歳の時に結婚しました」というアルメニア人も結構居た。

一般に、アルメニア人の男性は「女は23~5歳までがギリギリ賞味期限」と思っているらしい。しかも、「処女じゃなきゃ絶対に結婚しない!」とまで言い切る。酷い女性差別だ。この理論に従えば、32歳のバキンカの嫁なんてアルメニア人にはトンデモナイのだろう。

あのいつも朗らかで話していて楽しいカリネちゃんが、お兄さんの話になると小姑のようにケチをつけまくっているのは意外だった。

バクーで生まれたアルメニア人に罪は無い。たまたまバクーで生まれただけだ。しかし、バクー生まれだと分ると不思議なくらい、一瞬アルメニア人は止まる。止まった後、重苦しい空気が流れ、その後は作り笑いと心の篭っていない会話が続く。


そして、アルメニア人は中東で生まれたアルメニア人も嫌いだ。イスラエルだろうが、シリアだろうが、イラク、イランと中東のソコかしこにアルメニア人は住んでいる。もともとアルメニア領だった事もあるのだろうが。

一回、ラジオを聞いていたら、シリアのアレッポだか何処かから来たディアスポラのアルメニア人留学生が、「アルメニア人は在外のアルメニア人に冷たい。心の祖国でこんなに酷い扱いを受けるなんて夢にも思わなかった」だのと述べていた。

友達のイェセーニアという女の子は、エチオピア生まれでフランス国籍のアルメニア人の旦那さんと結婚した。旦那さんはマルセイユで歯科医をしている。彼等が里帰りした時に、僕は旦那さんと一緒に中心街を歩いていたのだが、そこでも

「なんだあのデブは。短いズボンなんて穿いていやがるぜ!」と、本場のアルメニア人が聞こえるように言い放った。旦那さんは、アルメニア語が分るので酷く傷付いたらしい。確かに、旦那さんは太っている。しかし、アルメニアで「デブ」は珍しい事ではない。短いズボンを穿いていたのは、アルメニアの夏が暑過ぎるからだ。別に誰にも迷惑をかけていない。

しかし、どうしてこうもアルメニア人(まぁ、99%男だが)は、無作法なのだろうか?

要するに、アルメニア人は「村意識」が強烈に強い。アルメニア生まれのアルメニア人達は「自分達こそ、本場のアルメニア人。ディアスポラの連中と一緒にされては困る。俺達こそが祖国を守りぬいた子孫の本物のアルメニア人!」と勝手に思い込んでいる。

酷い話だ。今現在のアルメニア共和国はディアスポラで各地に散らばったアルメニア人の寄付やロビー活動で国が成り立っていると言っても過言ではない。

経済が仮死状態であるにも関わらず、なんとか国が持ち堪えていられるのも在外の彼らのお陰だ。フランスやアメリカ、ギリシャ、ロシアといった国にはアルメニア人のコミュニティがある。出稼ぎのネットワークを頼って外国に行けるのだって全て在外のアルメニア人のお陰なのだ。

そういう意味では、歴史の不幸が今となって「幸運」として跳ね返ってきた非常に歴史上特殊な国なのだろう、アルメニアは。

アルメニア共和国自体はまさに「植物人間」状態であり、輸血(寄付、出稼ぎによるお金の動き)等によって国が成り立っているのに、本場のアルメニア人はそんな事を露ほども知らないし、知ろうとしない。

アルメニア人は一見すると、非常に親切に思える。しかし、その反面は非常に閉鎖的でもある。

「アルメニアは誰に住みよいか?」

ソレは、アルメニアで生まれたアルメニア人にとって住みよい国なのであり、案外とディアスポラのアルメニア人や外国人は「村社会」に溶け込んでいけない。

こんな「村意識」が強い国、他にもありますよねぇ。あれれ?


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